2024年2月22日木曜日

『ぼくの町の妖怪』野泉マヤ(国土社)

書名:ぼくの町の妖怪
著者名:野泉マヤ
出版社:国土社


好きな場所:昔、川の向こう側はめったに行けない場所でした。つまり、自分たちが毎日生活する場所とはちがう世界だったのです。そのちがう世界との間を境界といいます。
所在ページ:p46
ひとこと:野泉マヤさんは、宮城県にお住まいで、地元でいろいろな活動をされている方ですが、その中の一つに身近な妖怪伝承を調べる「妖怪現地調査」があります。妖怪の出現する場所をプロットした町の地図を拝見したことがありますが、とっても見ごたえがありました。東北の作家仲間である堀米薫さん、佐々木ひとみさんとの共著「みちのく妖怪ツアー」シリーズ(新日本出版社)は好評で、巻を重ねつづけています。
 今回も町の妖怪がテーマの短編集です。
 邦彦の家の近くの空き家に、若い男性が引っ越してきます。その人は、もともと住んでいたおじいさんの孫らしいというので、行ってみることに。おじいさんは邦彦が幼稚園のころ、天狗や河童の話をしてくれたのでした。どうもそのお孫さんという人は、妖怪の研究をしているらしいのです。
 というわけで、邦彦と友人のマミは、そのお孫さんこと、円さんに、いろいろ妖怪の話を聞くことになるのですが……。
 ほんとうにあったのか、なかったのか、不思議なお話。それぞれの妖怪の由来もわかってとてもおもしろいです。
 

2024年2月3日土曜日

『彼女たちのバックヤード』森埜こみち(講談社)

書名:彼女たちのバックヤード
著者名:森埜こみち
出版社:講談社



好きな場所:髪の毛の二、三本くらい、あの子にくれてやればよかったじゃん
所在ページ:p24
ひとこと:詩織と璃子と千秋。仲よしの三人組に見えますが、それぞれがそれぞれに対する気持ちは異なっていて、バックヤード、つまりそれぞれの家庭も違っています。
 すれちがいがなにげない言葉になって出てきます。
 でもそれにはちゃんと理由があるのです。
 引用のところ、あの子というのは、璃子の弟ですが、とってもやんちゃ。千秋にかみついてしまいますが、それを止めなかった璃子が悪いと言った詩織を、なぜか被害者のはずの千秋がこう言って責め、璃子のほうをかばったのです。
 なぜ? どうして? 悪いのはあっちじゃないの、と思う詩織。
 しかし、だんだんに、そのバックヤードがわかるにつれて、三人の関係は変わっていきます。

 ああ、こういうことだったのだな、だからあの人はこういったのだな、と大人になってわかることでも、あのころはわからなかった。あのころに戻れたら、理解しあえるのに、と思うことってたくさんあります。
 今、友だち関係に悩んでいる最中の人も、この本で、ちょっと立ち止まって、他の見方もあるかもと思えば、楽になるかも。

2024年1月21日日曜日

『となりのきみのクライシス』濱野京子(さ・え・ら書房)

書名:となりのきみのクライシス
著者名:濱野京子
出版社:さ・え・ら書房




好きな場所:なんでわたし、ヒップホップをあきらめてしまったのだろう。あの時。
所在ページ:p112
ひとこと:袖には「子どもの権利って何? 大人は知ってるの? 守られてるの?」とあります。子どもの権利条約を子どもにわかりやすく説くお話だとすぐにわかりますが。
 権利というのは、お題目ではなく、その生活のはしばしに現れる、ごくささいなことに具体的にどう関係しているのかを考えることが大事です。権利を説明するのはできても、そここそがなかなか大変なのです。
 それなのに、このお話はほんとうに細かい部分まで考えられていて、さすが濱野さんです!

 六年生の葉菜は、あるときふと気づいてしまいます。同級生の紳に、担任のスギッチがこまごまと配慮をしているのに。なのに、紳のほうはなぜかいやがっているようす。
 一方葉菜の母は、プライバシーに配慮してうわさ話などは慎むタイプで、子どもに対する理解もあってよさそうなのですが……ある日。

 権利とは正義一方のものではなくたくさんの権利が拮抗するものだから難しくて、特に子どもの権利は、パターナリズムとの関係で一刀両断にはできないわけで、とっても書きにくいのですが、何より子どもがそれが自分の権利だと気づくことが第一歩のはずなので、それを考えても、これはとってもいいお話だと思います。たくさんの方に読まれ、また考えてもらえますように。
 

2024年1月20日土曜日

「季節風157号」に、佐藤まどかさんが『恋愛相談 「好き」だけじゃやっていけません』(静山社)の書評を書いてくださいました

 「季節風157号」に、佐藤まどかさんが『恋愛相談 「好き」だけじゃやっていけません』(静山社)の書評を書いてくださいました。

タイトルは「森川さんが恋愛ものを書いたって?!」


ここにも書かれていますが、まどかさんは、生原稿を季節風大会に出したときにも読んでくださっていました。ほんとこのときの合評で皆さんに言われたのは、八割がた物語の内容ではなく(笑)、恋愛相談の料金(任意なんだけど……)と、高校生のお小遣いの額でしたね。現役高校生に一番距離が近いTさんが、いろいろこまごま教えてくださって。あと、皆さんが衣装やイケメンの容姿のヒントもくださいました。その節はありがとうございました。

まどかさん「これはいわゆる恋愛小説ではない。恋愛問題をテーマにした物語だ。なるほど!」と言ってくださっておりますが、そうなんです! なかなか気づいてくださる方がいないように思ってちょっとめげていたので、そう書いてくださってうれしかったです。

恋愛を書くときは恋愛というものを、かさおばけを書くときはかさというもの、おばけというものを、かわらばんを書くときは、かわらばんというもの、報道というものを……。どうもわたしはそういうのがおもしろいと思っているところがあるので(ツボるので)、あんまり評価されないかもしれないけれど、たぶんこれからもそういう書き方をするのかなあって思います。

「ブルータスよ俺もか」ということですので、まどかさんの恋愛もの、楽しみに待っております!

2024年1月15日月曜日

『なすこちゃんとねずみくん』堀米薫(新日本出版社)

書名:なすこちゃんとねずみくん
著者名:堀米薫
出版社:新日本出版社



好きな場所:みみずのうんちはおくりもの
所在ページ:p6
ひとこと:前にご紹介した『はくさいぼうやとねずみちゃん』(https://saffibarinkay.blogspot.com/2021/05/blog-post.html)と同じこがしわかおりさんの絵で、今度も主人公はねずみくんです。
 でも前のお話は冬で、今度は夏です。
 ねずみくんが、畑でひろったじゃがいもにかじりついていると、陽気な歌声が聞こえてきます。でも引用のような、奇妙な歌詞でした。
 歌っていたのは、なすの苗のなすこちゃん。
 自分の巣穴に戻っても、ねずみくんの頭には、この奇妙な歌詞がこびりついて離れません。ねずみくんが次の日畑にいくと、またなすこちゃんは歌っていました……。

 堀米さんは、現役農家さん。肉牛の肥育の他にも田んぼ、畑と毎日忙しく働いておられます。その畑仕事の間に、このお話を考えられたそうです。
 わかっていたつもりの私たち大人も、そうかなすは夏に強いのか、こんな種なんだなど、はっと思うことがたくさん。
 子どもたちならさらに、たくさんのことをこの絵本から発見してくれることでしょう。
 多くの子どもたちに読まれますように!
 

2024年1月10日水曜日

第52期日本児童文学学校 本日から受付です

第52期児童文学学校でお話させていただきます。

全6日の講義ですが、私は9月29日の1時間目でお話させていただきます。
他のみなさんご活躍中のすごい方ばかりで、ことに同日の二時間目は、令丈ヒロ子先生なので、緊張しています。

すべてzoomによるリモート講座なので、地方の方もスケジュールご都合つけやすいのではないでしょうか。作品を見てほしい方は、送付することもできて、初日と最終日以外は、その講評もあるので、勉強になることと思います。

私はこの児童文学学校卒業ではないのですが、ベテランの作家さんがたが「私は〇期。〇〇さんといっしょだった」「あれ、私はその前の〇期」などと話がはずんでおられるのをよく目にします。そのぐらい伝統のある講座です。

私は「書き直しの大切さをぜひ知ってください」というテーマでお話します。


いつもお話をいただいたときに、内容は決めてスライドも作ってしまうので(頭の中にひっかかっていると、気になって他の仕事がしにくいから)今回もこんな感じで、一応スライドはできています。また直前に調整するとは思いますけど。

本日(2024年1月10日)から受付のようです。

詳しくはこちら、日本児童文学者協会のHPで

お申込みお待ちしています!

2023年12月24日日曜日

「子どもの本棚 2024年1月号」に『かわらばん屋の娘』(くもん出版)について書かせていただきました

「子どもの本棚 2024年1月号」に『かわらばん屋の娘』(くもん出版)について書かせていただきました。


 憲法などの授業を受ければわかることですが、報道の自由というのは、一般の方が感覚的に受け止めておられる以上に、とても大事な権利です。それは、国民が各自、自分の行く先を決めるために何かができる(主に投票)というしくみとセットなのです。で、行く先を決めるためには情報が必要だろ? ということで認められている権利ですが、これが昨今いろいろな弊害(プライバシーの侵害や情報過多による混乱)に紛らわされて、「いらないんじゃね?」「マスコミがもうけるだけなんじゃ?」と思われがちなこと、とても憂慮しています。
 国によっては、投票はできても、報道の自由がない国もあります。
 意思決定が早く、ぶれないので、とてもいいように思われますが、実質はどうでしょうか? 国民の気持ちをないがしろにしても、戦争に突入したりしていないでしょうか。
 私はそれがとても疑問だったので、この話を書きました。
 日本にも昔は、報道の自由が許されない時代がありました。冗談やたとえ話なら、お目こぼしがあっても、ちゃんと書いたらだめという時代が。
 その時代からこっち、私たちの先祖はいろいろな犠牲を払って、報道の自由という権利を得たのです。どうか今後も、これを失うようなことがありませんように。
 ちゃんと民主主義のしくみが作用するような将来であってくれますように。
 拙文お読みいただければ幸いです。